JASELE@北海道大会にて(3)

今回のJASELEの研究大会は,いろいろな人と議論できて,久しぶりに楽しい学会参加だったなあという気持ちと,もう一方で,感慨深さがありました。というのも,私たちが2009年に出版した『リフレクティブな英語教育をめざして』は,2005年の札幌研究大会での課題研究フォーラム「教師が変わる授業研究」がきっかけで企画が立ち上がったからです。あれから8年,よのなかや自分の研究はどう変わってきたかを,ほっけ,生ちらし丼,芋餅やビールを食しながら…,いや,研究大会の中で考えてみました。

大会は,口頭研究発表だけでなく,ポスターセッションや特別講演やフォーラムなど様々な企画が催され,参加者の校種や発表のテーマも多様化し,活況を呈していました。すばらしい運営をして下さった実行委員会や事務局の皆様には,本当に感謝の気持ちで一杯です。私自身も過去に大会事務局を経験したことあるのでなおさらです。思えば,この学会でポスターセッションを初めて企画・実施したのは,1998年の松山研究大会で,その言い出しっぺは,当時大会事務局をしていた私と愛媛大学の池野修先生でした。しかし,私の記憶が正しければ,その後,ポスターセッションは実施されず,一昨年の大阪大会で「復活」したのでした。

繰り返しになりますが,今回の研究大会は本当におもしろく,議論や交流のできる場になっていたのですが,学会としては,もっと変わらなければならないのではないかと思うこともいくつかありました。なかでも,学会における研究のディスコースは,意外と硬直化しているのではないかという疑問を抱きました。このことは,課題研究フォーラム「中高英語教師が自らの実践を公刊することについて―日本語事例と英語事例から―」で,コーディネータの柳瀬陽介さんが示してくださったデータを見て,強く思ったのですが,柳瀬さんは,本学会誌であるARELEに掲載された論文がどのようなテーマで書かれているのかを,他の専門誌の掲載論文と比較し,

本学会はJACETといった他の日本の英語教育系学会やApplied Linguisticsといった欧米の応用言語学の代表誌と比べて、「リフレクティブな英語教育」および広く「質的研究」を、正式な業績としての研究論文および研究報告として認めていないかもしれないことが、図1からは示唆される。

と指摘されています。質的な研究を投稿して,だめだったケースをいくつか私も知っています(個人的な経験を含む(ははは))が,それは,質的な研究の質が良くなかったこともあるでしょうし,相対的に質的研究の数が少ないのは,質的研究に取り組む研究者が少なく,結果,投稿本数が少ないということもあると思います。ですので,今後,質的研究や実践に軸足を置いた研究に取り組む研究者や実践家がもっと出てきて,質的研究のフォーマットがもっと認知されれば良いと思います。その点では,後述しますが,本学会も,英語教育の実践と研究をより豊かにする研究のタイプとしてどのようなものがあるのか,そして,それらが標準的にどのようなフォーマットで研究されるのかを(決して,prescriptionとしてではなく)示してもよいのかもしれません。

本学会の学会誌ARELEは,投稿論文として「研究論文か実践報告のいずれか」(執筆要項より)があるのですが,両者のフォーマットがどのようなものなのかについて記述された規約が存在しません。1点だけ違いがあるとすれば,「使用言語は英語とし、実践報告に限り日本語も可とする」という使用言語に関する規定のみです。ですから,極端なことを言うと,投稿する論文がどちらのタイプに属するかを客観的に判断する根拠がないのです。今回の研究大会では,開会式やシンポジウムで,会長が,理論と実践の往還や実践研究を重視することを目指すとおっしゃいました。この点には,諸手を挙げて賛成ですし,教師自らが教室での実践を語るフォーラムやワークショップへは,我先にと参加しましたが,学会が本当の意味で実践研究や実践家の語りを大切にし,それらを公共化しようとするのであれば,上で述べた学会誌ARELEにおける論文のフォーマットを整理し,その結果,多様かつ質の高い実践研究が公共化されることがとても重要だとも思いました。

例えば,海外では,TESOLがResearch Guidelinesを示しています。このGuidelinesでは,研究のタイプを”quantitative research and three types of qualitative research–case studies, conversation analysis, and critical ethnography”とし,それぞれの研究のタイプに対して満たすべき要件が詳述されています。このGuidelinesは,2003年のTESOL Quarterly誌上(vol. 37, issue 1)に掲載され,翌年のvol.38, Issue 4では,それぞれのGuidelineに対して,3名の研究者(Bachman, Shohamy, Holliday)がコメントを掲載していますが,少なくとも10年前に,研究のタイプとして,量的研究だけでなく,質的研究が3つのタイプに分けられて認識されていたということです。もっとも,10年後の今となっては,narrative researchがでてくるなど,質的研究はさらに多様化していますし,同様のことは,量的研究でもおきているのかもしれません。

あ,ちょっとおもしろいことを発見しました。2003年のTESOL Quarterly誌上では,qualitative research, three types of quantitative researchの順で紹介されていましたが,現在のTESOLのウェブサイト上では,この順番が入れ替わっています。これは,もしかして,学会が研究方法に対する認識を変化させたのではないか…というのは穿った見方ですよね。

ただし,ガイドラインのような研究の制度化を図ることで,われわれの研究スタイルが硬直化し,創造性が損なわれてしまったり,ガイドラインに抵触するような研究はアクセプトされないということでは,元も子もありません。これは,悩ましい問題ですが,上述したTESOL Research Guidelinesに対するコメンタリーのうち,Shohamyさんは以下のような警鐘を鳴らしています。

TESOL researchers must be cautious that the guidelines do not restrict innovations in research designs by imposing fixed categories and forcing research into sealed boxes. Researchers should not be forced to ask themselves whether they are doing critical ethnography or narrative research. They should not feel that they must define their research identity based on such molds. Rather, researchers should feel free to examine a variety of modes, to mix and blend different methods in the long journey toward answering research questions. It has long been my conviction that the researcher’s only requirement is to develop a good argument that can be substantiated. The researcher can follow many routes to obtain and present convincing evidence. It is up to the researcher to find the best and most imaginative ways to get a good argument across. Given that so many possibilities exist, dictating to researchers how to do research is patronizing. Guidelines should not discredit the complexity of research or dictate fixed paradigms. (Shohamy , 2004: pp.728-729)

Shohamyさんが”my conviction…”と述べている部分には「はっ」とさせられますが,何にしても,標準化された尺度やガイドラインというものが出てきたときには,そのユーザーは上で指摘されているようなことに,本当に注意しておく必要があると思います。

ガイドラインやフォーマットを明示的にすることで発生するかもしれないもう1つの問題として,諸々の研究リソースにアクセスしにくい現場の教師にとっては,ハードルがあがってしまうということも考えられます。そこで,実践研究の活性化と公共化,あるいは,on-goingな研究を巡って会員同士の対話を促進していくために,もう1つ学会誌を発行することもオプションとしてあるかもしれません(「そんな大変なこと勘弁してよ」と関係者の方々からは言われてしまいそうです。誤解のないように付け加えておきますと,私は,学会の事務局長を務めたこともありますし,紀要編集事務局の仕事をすぐそばで見ていたこともありますので,紀要を1冊発刊することの大変さを身にしみてわかっているつもりです。ですから,軽い気持ちで言っているわけではないのですが…)。

他の学会から1つ事例を紹介しますと,私が所属する日本質的心理学会では,『質的心理学研究』と『質的心理学フォーラム』を発行しています。『質的心理学フォーラム』規約を読みますと,

日本質的心理学会は,『質的心理学研究』(個別研究論文の投稿誌)と『質的心理学フォーラム』(研究対話を興隆する論考誌)の二機関誌を発行する。両機関誌は,質的研究において理論的・方法的な最先端の領域を切り開いていくことをめざしている。

とあり,『質的心理学フォーラム』の目的と領域として,

(目的と領域)本誌の編集方針は,「対話」である。本誌は,議論や知的発想を喚起す
るような「良質な対話」の実現を図るものである。そのために,会員の相互交流や,諸
領域・諸学問の交流等を積極的に図るものである。諸学問には,心理学のみならず,教
育学・社会学・人類学・福祉学・看護学・文学・言語学・歴史学・地理学・経済学・経
営学・法学・医学・生物学・工学など広く諸領域の研究や学際的研究を含む。

とあります。そして,掲載内容として,以下のように具体的に書かれています。

(構成)本誌は,「論文」「記事」「報告」等によって構成する。「論文」には,質的方法
に基づく経験的研究・理論的研究・方法論的研究に焦点を当てた特集に関する特集論文,
近年の研究動向や知見に関する展望論文,質的研究に関する議論を喚起する意見論文等
を含む。「記事」には,質的研究に関連するエッセイやインタビュー等を含む。「報告」
には,年次大会に関する報告や,学会運営に関する会務報告等を含む。なお,毎号,こ
れら全てを掲載するものではない。

JASELEと質的心理学会の学会としての目的は異なりますので,当然ながら構成も変わって良いのだと思いますが,私が『質的心理学フォーラム』がすぐれていると思う点は,「本誌は,議論や知的発想を喚起するような「良質な対話」の実現を図る」とする学会誌の目的を掲げている点です。上で述べた「異なる研究タイプでフォーマットを整理した方が良い」という見解とは矛盾するようにも聞こえるかもしれませんが,様々なタイプの研究に取り組む学会員が質の高い対話を行い,すぐれた英語教育実践に結びつく研究を創出していくことができるのであれば,ARELEに加えて,もう一冊学会誌があれば…と思いました。なんだか,かっこいいことばかり書き連ねましたが,個人的には,日本質的心理学会の『質的心理学フォーラム』が好きなので,まねしてみたらどうかなあ,という気持ちです(あ,やっぱり軽い気持ちで書いている)。

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