JASELE@北海道大会にて(2)

今回の学会で発表したもう一つの研究は,坂本南美さん,棟安都代子さん,神原克典さん,安川佳子さんとの共同研究「『自己研修型教師』を育てる研修会のあり方に関する研究 ―持続可能な研修を探る―』です。


発表者のみなさんは,兵教大の修了生なのですが,大学院修了後,勉強の機会を持ちたいということで,なんとか時間をやりくりしながら読書会を始めたことが,今回の研究へとつながりました。この読書会での,私の役割は,月1回の例会の度に,大学の演習室の鍵を開け,プロジェクターを用意し,コーヒーを入れ,みなさんをお迎えし,横でディスカッションを拝聴するという裏方役でございました。他のメンバーに「クビよ,クビ,クビ,クビ!」と言われないように,おいしいコーヒーを入れることに心を砕いた次第です。研修会を進める中で,教師としての自分たちの学びを研究しようということになり,2年近くの研修会の中での学びをふり返り,言語化することを試みました。つまり,リフレクティブな営みをさらにリフレクティブに捉えようという活動でした。(兵庫教育大学院同窓会の助成も得ることができたことも幸運でした。研究のために,ある程度自由に使える予算があるというのは本当にすばらしいことだと思います。同窓会に感謝!)

研修会では,ざっくばらんに授業の様子を語りつつも,経験を語る言語にできるだけ注意を払いました。過度の言語中心主義に陥ることは,私たちの目指すところではありませんでしたが,論文などから読み取った理論の言語は,私たちの経験の言語化を媒介する役割を果たしました。これによって,複雑でふわふわとした経験に輪郭が与えられ,実践の概念化と概念同士の関係を捉えることができましたし,それぞれのおかれた文脈を超えて,議論ができるようにもなりました。これは,これまでありがちだった,理論を実践に適用するという関係ではなく,実践の言語と理論の言語が,時にはぶつかり合いながらも,実践の言語に力強さが与えられる過程であり,同時に,理論の言葉に対しても,実践者の観点から新たな解釈が与えられるという弁証法的な過程だったと思います。

ちなみに,研修会で読んだSharkey, J. & Johnson, K. E. (eds.) (2000). Tesol Quarterly Dialogues: Rethinking Issues Of Language, Culture, And Power. という文献(どうやらもう絶版のようですが)では,TESOL Quarterlyに掲載されたcritical pedagogy, sociocultural theory関連の論文を読んだ読者が,自らの実践と結びつけて批判的にレビューを書き,それに対して,論文の著者自身が応答するという対話(dialogues)の形式がとられています。研究と実践の往還をまさに実践するスタイルです。また,その本の著者であるKaren Johnsonさんは,別の著書で,教師の自身が自ら学び,成長する枠組みをteacher inquiryとしてまとめているのですが,この研究は,今回,私たちが自分たちの学びの跡をトレースしていく際にとても示唆的でした。

今回,発表をまとめる際に,よく分かったのですが,教師が自らの学びを研究するとき,emic-etic,insider-outsiderという視点を超えた,あらたな当事者研究の姿が浮かんでくるように思いました。手前味噌になってしまうかもしれませんが,こういったすぐれた実践の言語が,新たな形の理論の言語へと発展していくことを期待していますし,私も,そういった活動をサポートしていこうと思います。

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