JASELE@北海道大会にて(1)

8月10〜11日に北星学園大学で開催された全国英語教育学会 第39回北海道研究大会に参加し,二件の口頭発表を行いました。一つは,「学習者の意味生成を援助するダイナミック・アセスメントの試み」(荒木美景さんとの共同研究),もう一つは,「『自己研修型教師』を育てる研修会のあり方に関する研究 ―持続可能な研修を探る―』(坂本南美さん,棟安都代子さん,神原克典さん,安川佳子さんとの共同研究)です。いずれの研究も,発表までの過程で仲間との議論から学ぶことがたくさんありました。

「学習者の意味生成を援助するダイナミック・アセスメントの試み」では,昨年から取り組んでいるDAに関する共同研究プロジェクトの一部を報告しました。発表後,コメントや質問をいただきました(ありがたいです)。いくつかを取りあげますと,DAを生徒に対する教師の支援のあり方として論じることで,本来のDAらしさ,すなわち,アセスメントとしての強みが薄れて,中途半端になってしまうのではないかというご指摘,また,今回示した事例では,教師が,生徒(たち)の「現下の発達水準」がわかったにしても,その後の「明日の発達水準」をどのように捉えるのかよくわからなかった,というご指摘をいただきました。いずれも,準備段階で私たちの中で十分に整理し切れていない点でした。

この研究の中で「評価論」としてDAを論じないと断ったのは,学校教育現場でいう狭い意味での「評価」,つまり,生徒のパフォーマンスに対する量/質的な評定を与える方法に限定したくなかったからです。むしろ,強調すべきは,DAでは「生徒のパフォーマンスに対する教師の見立て」という意味でのアセスメントと,その後の援助の与え方についての意思決定,そして,更なるパフォーマンスが一体化していることだったと思います。つまり,評価と教授(その後の生徒の発達)の一体化です。この評価と教授が弁証法的に交流する過程で,生徒の知識が書き換えられ,発達が進んでいくと考えます。そういう意味では,教師と生徒の協働制御(coregulation)による発達に言及すべきだったかもしれません。協働制御については,Lantolf & Poehner (2010)が,Fogelという発達心理学者が行った養育者が乳児を抱きかかえて座らせる研究に言及しながらDAにおける協働制御の説明しています。以前,別の研究会で協働制御についてお話しした時のスライドを以下に挿入します。

coregulation_1 coregulation_2

養育者がうつぶせになっている子どもを座らせるときに,(a)と(b)のやり方がありますが,(b)では,子どもが手を引っ張る力を養育者が感じ,それに対して力を微妙に調整しながら,引く方向へ力を加えます(勢いよく引っ張りすぎると,「手が抜ける」ということになりかねません)。養育者の引く力に対して,子どもも反発力を加えながら,自ら立ち上がる方向へ身体の姿勢を変えていきます。<持ち上げる/引っ張る>という反対方向の力の交流が,子どもの立ち上がるという活動を協働的に生み出していきます。やや飛躍があることは否めませんが,Lantolf & Poehner (2010)は,Fogelの事例を言語学習に援用し,ZPDの中で教師の援助にたとえています。例えば,一斉に同じタイプのフィードバックを与えてしまうと,その時々の誤りを一度に修正できますから,効率は良いのでしょうが,生徒の一人ひとりで異なるZPDを無視してしまうことになります(上のスライドで行けば,(a)に近い行為となります)。<持ち上げる/引っ張>という調整を通して活動を協働的に制御することで,生徒が「自分でもできた」という感覚を持つころができる,すなわち,DAは,活動主体(agent)としての生徒を育てることができるというのが,Lantolfたちの主張です。

もう1つのご指摘であったように,「明日の発達水準」をどう考えるかについては,外国語学習では,悩ましい問題を含んでいると思います。というのも,これまでの第二言語学習研究におけるDA研究は,言語表現(語彙・文法)のマスターのプロセスを捉えていて,明日の発達水準が,どうしても特定の言語表現のマスターになりがちだからです。内容やメッセージに焦点を当てても,それを表現する媒体としての形式とは分かちがたいですもんね。この問題については,今後,研究を進めながら,考えていきたいと思います。

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