LET関西支部秋季大会シンポジウム終了(10/8)

10月8日(土)に行われた外国語メディア教育学会(LET)関西支部の秋季大会シンポジウム「学習者の学びを考える」に登壇させていただきました。池田真生子先生のコーディネートで,八島智子先生,Stephen Ryan先生,そして,私,指定討論者に新多 了先生というメンバーでした。コーディネーターの池田先生,一緒に登壇して下さった八島先生,Ryan先生,とても大事な質問を準備して下さった新多先生,そして,聴衆の皆様に,感謝申し上げます。

「学習者の学びを考える」ととても広いテーマでしたし,登壇者それぞれの研究手法は,異なっていましたので,始まる前はどんな風にかみ合うかなあ,というやや不安もありました。しかし,先生方のお話を聞いて,学習者や学びに対する関心が,底の部分で共通しているのがわかり,おもしろいセッションになったのではないでしょうか。新多先生が最後にまとめて下さったように,いわゆるmain streamでない,’alternative approachers’ばかりで,シンポを行うというのは,画期的なことだ,ということですが,私自身が楽しめたのも,そういった理由によるかもしれません。

私は,「社会文化的理論からみた学習者の学び:言語の学びの種はインタラクションにあるのか?」というタイトルでお話ししました。教室での会話の事例をお示ししながら,インタラクションを単にインプットのソース,あるいは,心理言語的処理の一要因と考えず,「人と他者,道具,環境,様々なリソースとのつながり」として「ごっそり」見ることを提案しました。今回は,はじめて,トマセロの模倣についても言及してみました。乳幼児の言語獲得と外国語学習では,違いがありすぎますが,それでも,外国語学習におけるimitationと言語発達の議論は,魅力的です。

今回,3人とも,学習者一人ひとりの学びの個性,歴史,ビジョン,コンテクストに目を向けることの重要性を主張しましたが,この教育上,古くて新しい問題が,研究の関心として先生方と共有できたのは,うれしかったです。昨今の研究や教育行政の施策では,学びの結果,つまり,スコア化された能力ばかりに注目が集まっています。そういった能力観とも向き合いながら,教室で,生徒一人ひとりにとって,意味のある学びをデザインすることも,私たちの仕事として重要である事を再認識しました。実は,今年度から請け負っている文科省委託事業では,この点が最も大きなチャレンジだと思っています(でも,押しつぶされそう。この話はまた別に機会に)。

と,やや優等生的なことを書きましたが,なにせばたばたの中での発表準備でしたので,いろいろと不備もあったと思います。会話データをお示ししながらの発表は,いまだに時間内に収めるのに苦労しています。発表について何らかの御意見やご質問などコメントいただければ,応答させていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

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