AAAL2015 Torontoに参加

3月21日から25日まで、トロントで開催されたAAAL@Torontoに参加しています。学部生の頃にUBCに留学していたことがあるのですが、何とそれ以来のカナダ(つまり、20数年ぶり)。しかも、東部は初めて。2週間前のオークレアと同じくらい風が冷たい。学会参加の記録を残そうかと思いましたが、時差ぼけで、その元気があまりなく、気になったことだけを書き留めておこうと思います。

まず、発表やコロキアムを見ると、cognitivisticなテーマに比べ、socio-cognitiveやsocio-culturalな研究が増えたと思います。これは、私の関心がそちらばかりを向いているからだけではなく、実際、数年前までは、social系の研究発表をプログラムから探すのはたいへんでしたが、今回は、同一時間帯に重なることも多く、別の意味でたいへんでした。

さて、AAALの初日、Toward an Integrative Framework for SLAというコロキアムに参加しました。 2年前のダラスのAAALでは、”Bridging the Gap: Cognitive and Social Approaches in Applied Linguistics”というタイトルのコロキアムで、両者の間のdivideをいかに埋めるかという形でした。その時の個人的な印象では、”agree to disagree”で終わった感が否めないのですが、今回は、そうではなく、お互いのアプローチを相補的にとらえ、つなげることで、SLAというとてつもなく複雑な現象に対する研究をより実りのあるものにしようという試みでした。プログラムのサマリには、次のように書かれています。

Many discussions of SLA theories focus on their obvious differences. This colloquium moves in the opposite direction, presenting a broad range of theoretical approaches to SLA in terms of their complementarity and commensurability, on the principle that SLA is such a complex phenomenon that it requires varied approaches working together to conceptualize it adequately.

とは言っても、そこに、いわゆるcognitivistsが同席しているわけではなく、Atkinsonの言うalternative approaches to SLAで括ることのできる研究者による相補的な枠組み作りという形になりました。だから、本当にintegrativeかどうかは怪しい。

セッションは、午前8時スタートで12時半終了という長丁場。研究者12名が一人8分間のプレゼンを行い,その後,8分間のQ&Aが次々におこなわれました。これだけのメンバーが揃えば、もうalternativeではなく、こちらがmain streamという気さえしました(いや、そんなヘゲモニーが問題なのではないのですが)。日本では、こういった議論が、量的研究と質的研究という方法論上の対立関係で論じられることが多いと思いますが、こちらでは、認識論(epistemology)や存在論(ontology)での論争になります。ですから、聴いている側もがんばらないと付いていけない(いや、実際、付いていけないところが多々あった)。今回の内容は,2年くらいのうちに,Modern Language Journal(だと思います)の特集号としてまとめられるようです。

発表とディスカッションを聴いていて,それぞれの研究者が提示しているアプローチが、よりメタ理論的なのか(complex theoryやSCT)、それとも、個別理論(objective theory)なのか、あるいは、より方法論よりなのか(conversation analysis)、という関係性はよくわかったし、発表者たちが時折、お互いに投げ合う問(というより「無茶ぶり」)、例えば、「Usage-based modelでは、emotionの問題はどう扱うの?」によって、議論が活性化する点はおもしろかった。ただし、Jim Lantolfが強調していたのだけど、integrative frameworkを真剣に検討しようとするならば、自分とは違う領域についてのかなり深い読み込み(in-depth reading)が必要だというのは、本当にそうだと思います。それだけの読み込みをおこなう時間があるのだろうか。私にはない。

Dwight AtkinsonさんのMCはユーモラスで、あっという間に時間が過ぎました。これだけのスピーカーの話を一度に聞けるチャンスは滅多にないですが、一方で、私にはインプットが多すぎて、一部、消化不良も。ここに言語使用や教育実践や学び手の成長という議論が入ってくると、もっとおもしろくなると思いますが、それをこの短時間で求めるのは無理か。

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